宝福寺の親恋地蔵さんと六十六部廻国聖惣墓

京都市東山区の東山五条の交差点を北に約3分歩くと、左手に小さなお寺があります。

このお寺は、宝福寺というお寺です。

周辺は、旅行者や観光客で賑わっていますが、宝福寺に参拝していく人の姿は稀です。

親恋地蔵さん

宝福寺には、京阪電車の清水五条駅から北東に約10分歩くと到着します。

市バスだと「五条坂」から北に徒歩約3分です。

入り口の門の左側の柱には「地蔵堂」と記されており、右側の柱には「時宗宝福寺」と記されています。

入り口

入り口

入り口から境内に入ると正面に地蔵堂、そして、左手に寺務所が建っています。

地蔵堂

地蔵堂

説明書によると、宝福寺は、奈良時代の聖武天皇の時代、天平5年(733)に行基が開いたとのこと。

当寺が名勝地であり、四方に竹林で囲われていたことから、山号を鶴林山(かくりんざん)と称したそうです。

平安時代には、藤原道長が治安3年(1023年)にこの地に葬られています。

ちなみにこの付近は、かつて鳥辺野(とりべの)と呼ばれる葬送地でした。

承和2年(1346年)に新京極の時宗金蓮寺の末寺となり、鳥辺野道場と称されるようになります。

地蔵堂に本尊として祀られているお地蔵さまは、南無地蔵さんや親恋地蔵(おやごいじぞう)さんと呼ばれています。

昔、丹波の国の母親が、行方不明になった娘を探してくれるよう宝福寺のお地蔵さまに祈願しました。

そして、帰る途中に1人の旅のお坊さんに出会い、杖で指された田んぼを掘ると、その土の中から娘の遺体が見つかりました。

母親は、お礼参りに当寺のお地蔵さまにお参りをすると、お地蔵さまの杖に土がついており、そのお坊さんが当寺のお地蔵さまの化身だったことを知り、篤く信仰されることになったそうです。

以来、当寺のお地蔵さまは、親恋地蔵さんと呼ばれ、縁結びのお地蔵さんとして多くの人々の信仰を集めるようになりました。

良い縁を授かれるよう親恋地蔵さんにしっかりお参りしておきましょう。

六十六部廻国聖惣墓

境内の北側にも、小さなお地蔵さまがいらっしゃり、その隣にはお墓もありました。

このお墓は、六十六部廻国聖惣墓(ろくじゅうろくぶかいこくひじりそうぼ)というものです。

六部墓

六部墓

説明書によると、六十六部廻国聖とは、日本廻国大乗妙典六十六部経聖(にほんかいこくだいじょうみょうてんろくじゅうろくぶきょうひじり)といい、平安時代後期より滅罪と豊穣祈願に法華経六十六部を写経し、これを日本全国(当時66ヶ国)の霊仏霊社に納経するために廻国した巡礼者だそうです。

日本全国66ヶ国を巡ることにより、より多くの功徳を積もうとしたもので、西国三十三所観音霊場巡礼納経や四国八十八ヶ所お遍路めぐりなどの納経帳に派生したのだとか。

現在、多くのお寺や神社で授かれる御朱印の起源だそうですよ。

江戸時代になり、罪人が滅罪のために六十六部廻国に身を捧げるようになります。

その巡礼者たちに生涯終焉の場を宝福寺が提供したのが、六十六部廻国聖惣墓(六部墓)ということです。

墓石は、天保12年(1841年)に建立されたものです。

昔の宝福寺は、もっと広い境内を持っていたそうですが、大正時代に東大路通が拡幅整備されたため、宝福寺の山林は2分され、周辺の景観もすっかり変わってしまったそうです。

今では、この辺りで竹林を見ることはなく、時代の流れを感じますね。

五条坂から清水寺に向かう際は、ぜひ、宝福寺にも立ち寄ってください。

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